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建設新聞社(長崎)
2012/02/02

【長崎】(社)長崎県建設業協会設立50周年事業記念講演「大災害に学ぶ」 これ以上人っ子一人死なすものか 建設業の決意新たに

 1月24日、(社)長崎県建設業協会設立50周年事業となる記念講演会「大災害に学ぶ」が諫早文化会館において開催された。
 あの東日本大震災から1年、今年は諫早大水害から55年、長崎大水害から30年、雲仙岳噴火災害から20年の節目の年でもある。多くの犠牲者を追悼すると共に、その教訓を将来の備えとすべく開かれた本講演会には、長崎河川国道事務所長、長崎港湾空港事務所長、雲仙復興事務所長、島原市長、諫早市長をはじめ、建設業関係者や行政職員、一般の方々を含め約900人の聴衆が会場に詰め掛けた。
 
 会の冒頭、主催者挨拶に立った県建設業協会の谷村隆三会長は、
 「この講演会は東日本大震災の視察に赴いた、建設業協会諫早支部の提案が発端。ご存知のように本県は多くの災害を経験している。しかし年月と共にその体験者は少なくなり、防災の指揮を執る行政の方々も災害経験者は少数。はたして過去の災害の教訓はしっかりと引き継がれているだろうか」と会場に問い掛けた。
 羽田空港で3・11を経験し、その後の義援活動に尽力、昨年7月の建設トップランナーフォーラムでも東日本大震災の現場の声に触れた谷村会長は、公共事業と建設業の現状に警鐘を鳴らし続けている。
 「卓上の災害対策と現実対応は大きく違い、経験は多くの知恵を与えてくれる。この講演が、私たち公共建設を考える者に、自覚と自信と誇りを与えてくれることを祈念する。」と谷村会長が語った後、宮本明雄諫早市長による共催者代表挨拶で講演会は幕を開けた。
 元国土交通省技監であり、現在(財)国土技術研究センター理事長の大石久和氏は雲仙普賢岳災害復旧の政策立案にも携わった経験を持つ。今回の講演では「私たちは動く大地の上で生活を営んでいる」と話し、日本という国土の特異性を数々のデータを示しながら解説した。
 細長く、四島に分離した国土。脊りょう山脈に占められ、わずかな平野は軟弱地盤である上に急峻な暴れ川を数多く抱える。さらに各国に比べ、マグニチュード6以上の地震発生率は80倍という日本の現状が、整然と比較データで示されると会場からは驚きの声があがった。
 「地盤が良く、地震が無い諸外国とその反対の日本。ほぼ平地である諸外国とその反対の日本。それなのに道路や橋梁といった公共事業について、単純に事業費や工期のみを諸外国と比較し、日本は事業費が大きく進捗率が悪いから縮減すべきといわれる。同じ距離の道路を通すのに、山岳地帯しかない日本でどれだけのトンネルや橋梁を必要とするか。地震に耐えられるようにするためにどれだけ大きな資材を必要とするか。それらを考えた上で、果たして日本の公共事業費は諸外国より大きいと言えるのか」と強調。
 また災害集中期を繰り返す日本の歴史を鑑み、堅牢な道路ネットワークは不可欠だとした上で、なぜ日本で早急なインフラ整備につながらないのかにも言及。
 「多くの一般メディアが報じた『国の借金1000兆円』という文言のインパクトが大きい。建設国債はその内訳に含まれている。長崎でも道路ネットワークの早期構築と新幹線延伸が問題となっているが、これらの事業のように受け継がれ、有効に使われ続けて発展に寄与するものが債務なのか」と問いかけた。
 さらに大石氏は、災害だけでなく経済発展にも道路ネットワークは大きく寄与すると続ける。
 日・英・伊の道路網を示した上で、「どちらが効率的に経済流通できるかは一目瞭然。いかに日本の道路事情が脆弱なのかが分かる。この効率の悪さは国民の過重労働にもつながっている。東北の道路ネットワークの再構築も重要だが西日本のネットワークも同時に構築するべき。」
 「オバマ大統領をはじめとする諸外国代表も、経済が低迷している時こそ高速道路の整備に尽力し、ヒト・モノの移動を確立することが必要だと主張している。インフラ整備は人の命と経済の国際競争力に直結するというのが世界各諸国の認識であるのに、日本では国土利用、資本ストックの論理はなされず『いくら使ったか』という財政(フロー)の論理だけ。それがこの国の現実だ」と投資をせず緊縮財政を続ける国情は、平成失政だと痛烈に批判。
 「我々は次の世代に何を贈るのか。真剣な議論が必要」と締め括った。
 続いて(社)仙台建設業協会副会長深松務氏は東日本大震災発生時から現在に至るまで、被災地で何が起こったかを現場からの視点で話した。自ら被災者でありながら過酷な対応作業に当たった建設業。その姿は会場に大きな衝撃を与えた。
 「仙台建設業協会は対策本部を即座に設置、中でも若林区は津波警報も解除されていない当日午後6時に道路啓開作業に出動しました。この対応の早さは直前に防災訓練を行っていたことが大きく影響しています。とはいえ損傷のひどい遺体が散乱する中、皆泣きながら作業にあたりました。その光景は今も作業員を苦しめています」。プロジェクターに示された現場写真を見つめる聴講者の目は真剣そのものだった。
 悲惨な光景だけでなく、家族の安否や食糧不足、不眠不休の活動は現場の作業員を容赦なく追い詰めた。県の災害対応マニュアルは近隣が被災していない状況を設定していたためにほとんど機能しなかった。電話も使えず伝令方式となり方針は現場に伝わらない。最も力を発揮すべき重機の燃料は3日で尽きた。
 「この震災は沿岸工事の集中する3月に起きたもの。宮城県だけで500台もの重機が流され、機能できるものをかき集めてのやっとの対応でした。流された重機の保証問題は今も解消されていません。公共工事完了前の年度末に起きたということで、我々建設業は経済的にも切迫した状況となりました。」
 また、がれき対応では縦割りの行政機構が弊害となったために、交渉してようやく窓口が一本化。その後は迅速に進めることが出来た。これだけの尽力にも関わらず、地域建設業の不安は切実なものとして続く。
 「これからが復興というのに、建設事業の縮減でこの10年間、我々はリストラの代わりに若手導入を行っていません。設備投資もしていない。以前の10分の1ほどの機動力に加え、不眠不休の災害対応にあたったのはほとんどが40〜50代の職人。後継者をつくるためにはもちろん労務単価の向上は必須ですし、全国的に自治体は、自らの地域を守るためにどれだけの建設業者が必要かをもっと真剣に考えるべき。実際に震災を期に辞めてしまう業者も多い。復興を絵に描いたもちにしないためにも私たち建設業は声をあげていかなければ」と提起。
 「今回の震災では東部道路が堤防の役割を果たし、多くの命を守った。2重3重の道路網で、私は人っ子一人死なない仙台を作っていきたい。それが子どもたちにのこしていくものだと思っています。皆さんも行政と建設業、一緒に自分の地域を考えて欲しい。私たちの経験が生かされることを願います」と最後に訴えた。
 県建設業協会諫早支部長吉田貞法氏による閉会挨拶で締め括られた講演会は、大きな拍手の中幕を下ろした。展示ホールでは講演会と共に災害パネル展も開催され、聴講を終えた人々は一つひとつの写真を丁寧に見つめて自らの地域の在り方と照らし合わせながら語りあっていた。取材に対し、ある一般の参加者は「公共事業は縮減すべきという風潮があるが、間違いだと気づいた。このままでは災害に強く発展できる国であるとはとても言えない。一刻も早く今の風潮を是正しなければならないと強く思った」と興奮した面持ちで話した。(建設新聞社(長崎)堤陽子)講演する深松氏谷村会長大石氏深松氏吉田支部長












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