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北陸工業新聞社
2018/09/07

【石川】復元への議論がスタート/金沢城二の丸御殿調査検討委/−県− 

 石川県の「金沢城二の丸御殿調査検討委員会」(委員長/藤井讓治京都大学名誉教授・県立歴史博物館長)の初会合が6日、県庁で開かれ、学識経験者による二の丸御殿の復元の可能性に関する議論がスタートした。
 1881(明治14)年の失火により全焼した二の丸御殿は、「金沢城復元の総仕上げとも言える究極の建物」(谷本知事)だが、写真をはじめとする資料不足により長年、全体像がつかめなかった経緯がある。そんな中、2015年に県金沢城調査研究所が個人所有の資料の中から二の丸御殿の絵図面(平面図)を発見。絵図面は明治5年頃の御殿全体が描かれており、復元の是非を判断する上での貴重な資料と見られている。これまでに判明しているのは、建坪約3200坪(約1万600平方メートル)の城内最大の建築物で、「表向」(藩主が藩政を司る儀礼の場)、「御居間廻り」(藩主の日常生活の場)、「奥向」(城に居住する女性たちの生活の場)の3つに大別され、部屋数は60室を超えていたとされる。
 委員会では冒頭、県土木部の板屋英治部長が「これまでの調査の課程で、二の丸御殿の新たな平面図が確認されるなど幕末期の御殿の様相が相当明らかになってきた。県ではこれまでの段階から一歩踏み出し、復元の可能性について具体的な検討に入ることにした。専門家の立場で助言をいただきたい」と呼びかけた。事務局から二の丸御殿に関する既知の資料として、▽「御城中壱分碁絵図」二の丸御殿廻り(横山隆昭氏所蔵)▽関連年表▽建築遺構である御殿の正面玄関脇にあった旧唐門(現在の尾山神社東神門)および奥能舞台(現在の中村神社拝殿)の写真など▽発掘遺構▽古写真▽絵図(平面、立面)―が示され、委員からは「復元の可能性の検討にあたり全体の姿を把握して復元範囲を決めてはどうか」「柱の間の寸法を把握するため発掘調査をしてはどうか」「実際に現場をみたい」「絵図の作成年代、作成意図を詳しく知りたい」「高さを把握する上で既存の立面図は役に立つ」といった意見や提案があった。

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